中川 浄益(なかがわ じょうえき)の茶道具買取なら無料査定ができるSATEeee茶道具買取へ

1.中川 浄益の作品を売りたいお客様へ

中川浄益とは、金物師の中川家当主が襲名する名称です。茶道に関わり三千家に出入りする十の職家を表す千家十職に数えられています。元々は鎧や甲冑など武具を作っていましたが、初代が茶道具を手がけたところそれが評判となり、以降は茶道具を手がけることになりました。
茶道具の風炉、釜、水滴などの他に、盆やキセルなど多種多様なものを作ります。また材料も鉄、金、銀、銅、真鍮などのなかから目的に合わせた茶道具を作り出します。その腕前から人気が高い人物となっています。

このページの目次

2.中川 浄益についての解説

中川浄益は、千家十職に数えられる金物師のことで、代々この名称を襲名します。元々は鎧や甲冑などを作っていましたが、千利休に湯沸かしを求められた際にその腕を気に入られ、以降は茶道具を手がけるようになりました。
金物師は、風炉、釜、水滴、盆、キセルなど様々なものを作ります。また中川家は錺師(かざりし)と呼ばれ、精巧な金工の細工を得意としました。精緻な象嵌や、精巧な文様、狂いのない打ち出しは金属の冷たさを感じさせず、茶道具の中に自然に溶け込みます。その腕前から多くの人に愛されています。

3.中川 浄益の歴史

中川浄益は元々越後の国で甲冑や鎧を手がけていました。1500年代後半に京都へ上洛した後も引き続き武具を作っていたとされます。茶道具を手がけるようになったのは1587年、北野大茶会のおり、千利休に湯沸かしを求められたことが始まりです。その時打物の技術を活かして作られたのが今日も伝わる利休形腰黒薬鑵とされています。これをきっかけに初代は茶道具を手がけるようになりました。
その後中川家は11代続き、特に3代目は鋳物の名手であったとされ数々の名品を残しています。現在は11代の死後、後継者が決まっておらず当主の座は空席のままとなっています。

4.中川 浄益の代表作

  • 利休薬罐
  • 伝来建水
  • 南鐐俵型棗

5.中川 浄益の作品の買取査定ポイント

まずは中川浄益の真作であるかが重要です。保証書や鑑定書があればなお良いでしょう。またどの時代の、何代目の中川浄益が手がけた作品かも査定のポイントとなります。



代表的な査定ポイント
  • 中川浄益本人の作であるかどうか(証明書や鑑定書があれば尚良し)
  • 作者の署名(銘)があるか
  • 保存状態は良好か(欠けなどはないか、箱が残っているかなど)
  • 素材は何でできているか

6.中川 浄益の作品の取引相場価格

相場価格はどの時代に作られたものか、何代目の作品かによって大きく異なります。 例えば、9代目の中川浄益が手がけた『極細密高肉彫透桜透摘銀瓶』には約230万円の値がつきました。こちらはサイズ約14.7cm×13cm×18.5cm、重さ約465gで明治期の内国勧業博覧会、英国発明博覧会に出品された品です。保存状態が良く、箱付きです。 また、10代中川浄益が手がけた『袋形寶尽彫火舎香爐』には約78万円の値がついています。こちらはサイズ約10.8cm×10.2cmで重さ566g、共箱、在銘、箱書きがあり、銀特有の変色があります。

7.中川 浄益の作品の買取についてのまとめ

中川浄益が代々中川家の当主が襲名する名称です。千家十職に数えられる中川家は現在までで11代を数え、数々の名品を生み出してきました。元々は甲冑などの武具を作っていましたが、千利休に薬罐を作ったことがきっかけで茶道具を制作するようになったとされます。
錺師とも呼ばれ、精緻な金工細工を得意としました。その象嵌、打ち出し、文様の技術は金属をどこか潤いのある質感に変えるとされます。
その確かな技術から真作で保存状態の良いものは高額査定になる可能性もあります。